22 Jul 2005

ストーンキャット

White Cat @ Eastern Penn | Flickr - Photo Sharing!

欧州のある古い教会ではある神父が野良猫を飼っていました。お祈り中に猫が悪戯をするため、彼が猫を紐で祭壇の足に繋げるようにしました。

この神父がやがて亡くなりました。2代目の神父がその猫を世話して同じようにお祈り中に祭壇の足に猫を繋げるようにしていました。

3代目の神父にいつも猫を祭壇の足に繋げる先輩神父のことを思い出し、自分も猫を飼って同じようにお祈り中に猫を祭壇の足に繋げていました。

4代目の神父は面倒臭がり屋で生きた猫ではなく石の猫を作り、祭壇の足の横に置くようにしました。

5代目の神父は床に置かれている石の猫をみて邪魔だと思って祭壇の上に置きました。

そして6代目以降の神父たちは常に石の猫に向かってお祈りするようになり、いつのまにかこの教会ではあの石の猫は祭壇上の神聖なる存在になり、誰もその意味を問いません。

私たち人はどうも、いつもしていることをその歴史が長ければ長いほど、何も疑うことなくむしろ信心深くあがめてしまうようです。

それが特に意味や必要性、合理性などがなくても。単に信じ込んでしまっているだけということにさえ、気付かず、気付くことなく。。。

これを読んで「はっ?!」としてしまった自分自身を見直してみようと思わされました。




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